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アイディアで勝負。
人とのつながりを大切に創造産業を育てる。

代表取締役 谷津倉 龍三 / 株式会社ヤツクラ / 静岡県富士市岩渕41
2018.04.17

株式会社ヤツクラは、事務機器・事務用品の販売を主力にしている会社です。歴史は古く、大正時代に学校前の雑貨屋さんとして創業。先代は文具のほか写真スタジオも経営し、戦後は事務用品の卸しを営んできました。仕入れた先から売れる時代は過ぎ去り、時代は通販ビジネスへ。
そんな時代の変化を掴み、新事業の「てぬぐいタオル」で技術革新計画の認証を取得。プロジェクションマッピング事業で持続化補助金を取得するなど、補助金や認証制度を新事業へ上手に活用しています。
また、代表取締役の谷津倉龍三さん(以下、匠)は、芸術祭「富士の山ビエンナーレ」の実行員長としてもその手腕を発揮。今までの仕事にこだわらない、新しいマーケットの開拓に挑戦し続けています。

「一発逆転!会社の窮地を救った『てぬぐいタオル』」

– 現在も事務用品などの販売を行っているのですか?

匠:私がこの会社に入った時は、ちょうど事務用品やコピー機などの事務機器を学校や会社などへ卸す仕事をやっていたんです。そのうちに少子化などが原因で学校が統廃合して、どんどん少なくなっていきました。加えて全国的に、事務用品の通販ビジネスが大きく売上を伸ばし始めるようになったのです。10年以上前からすでにその兆しがあったので、「これからは通販ビジネスが主力になるだろうな」「今のままではお客様が減っていくだろう」と思い、そこから真剣にお店のことを考え始めました。
私が社長を引き継いでから、高校の購買を始めとする卸業は全部やめてしまいました。その後、富士川町と富士市が合併し、うちのメインユーザーだった富士川町役場もなくなってしまったのです。「うちの会社は生き残れないかもしれない」「会社をやめるかどうするか」というどん底まで落ち込みました。でも人間ってね、そういうところで知恵が出るんです。

– いったい、どんな知恵が出てきたんですか?

匠:12年ほど前、てぬぐいタオルを作っている愛媛県今治市の会社とめぐり逢ったんです。今治のタオルも、当時は中国製の安いタオルに押されて売上が落ち込んでいました。
その頃はまだ20柄ぐらいしかなかったのですが、素材がとても良く周囲にも好評だったので、クチコミで評判が広がって、遠方からお客さんが買いに来てくれるようになったんですよ。

これはいけるぞ!と手応えを感じて、うちが店舗デザインをしたお店に全柄置いてもらったんですが、「ヤツクラさん、9月にてぬぐい置いたって売れないよ」と言われまして(苦笑)。お願いして1ヵ月置いてもらったら、ちょうど由比宿場祭りと桜えび漁の時期が重なって、月に2,000枚も売れる大ヒット商品になったんです。今では東名高速道路のサービスエリアをはじめ、全国のいろいろな場所でおみやげとして販売されています。

– 販路を開拓のために、たくさん営業活動をしたのですか?

匠:いえいえ。営業は全然していないんですよ。商品のタオルに問い合わせ先を書いたカードを入れてあるので、それを見て「直接お取引できますか?」と打診が来るんです。
東京ビッグサイトの展示会に出た時は200社と名刺交換しましたが、その時に「追っかけ営業はしない」と決めたんです。名刺をいただいても、電話をかけることはしませんでした。こちらから営業に出向くと、イニシアチブを相手が取ることになり、仕入価格を値切られてしまう。相手から来てくれれば、こちらの都合の良い価格や条件を提示できて、取引きしやすくなります。こうしたことを徹底したおかげで、てぬぐいタオルは11年経っても値崩れしていないんです。

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「一切営業をせず、誰も思いつかないアイディアで勝負」

– てぬぐいタオルが窮地を救ってくれたのですね。

匠:そうですね(笑)。てぬぐいタオルは(窮地に陥った期間の)埋め合わせをしてくれましたし、自分たちも満足できる結果になりました。

先ほどお話した「追っかけ営業はしない」という営業方法は、とある社長さんが教えてくれたんです。その人は、グラフィックスポットライトをドイツから輸入された方です。事務用品の仕事をしていた頃からその社長さんとお付き合いさせていただき、グラフィックスポットライトの事業を並行してやっています。もう15年ぐらいになるでしょうか。
一番最初は、愛知万博で名古屋駅前にモリゾー・キッコロなどのロゴを映し出す仕事をいただきました。そのほか、イオン志都呂店のオープニングや、客船にっぽん丸のボディに映像を映したり、富士市ロゼシアターや富士山女子駅伝など、日本全国いろいろな所で仕事をさせていただきました。いちばん大きかったのは4〜5年前、イタリアのオペラハウスに建築家の安藤忠雄さんの功績をグラフィックスポットライトで映し出すという仕事です。

今は県外からの問い合わせが多いですね。でも、無料でやったこと(デモンストレーションなど)があとから仕事になって還ってくるパターンが多いので、私たちは一切営業をしていないんですよ。それよりも、企画を立てる人とのつながりを大事にしています。

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「『富士の山ビエンナーレ』を開催。地域に貢献する企業へ」

– 谷津倉さんは富士の山ビエンナーレの実行委員長もなさっていますね?

匠:はい。そもそもの始まりは、「越後妻有アートトリエンナーレ」を見に行ったこと。私は美術館が好きでよく行くんですが、ある程度の作品の知識を持ちながら見に行くことが多かったのです。
ですから、2003年に初めて新潟へ行ったときは驚きましたね。美術館ではない、納屋や普通の家に作品が展示してあって、東京23区ぐらいの広さの地域に200〜300作品も飾ってあるんです。だからお客さんは泊りがけで行きます。

中越地震で崩れた場所にグラスファイバーを光らせたり、一生懸命歩いていった山の上の会場には石を並べただけの作品があったり(笑)。でもすべてにストーリーがあるんですよ。作家さんたちも、それぞれ思いがあってその場所に作品を作っています。
そこに、わざわざ足を運んでくれるお客様がいて、その建物を展示会場として貸してくださる地元の方がいます。建物の持ち主は訪れた人に、その作家さんの思いや、どうやって作品を作ったのかなど、いろんなエピソードを話してくれることもあります。

これが本来の観光のおもてなしなのではないかと感動し、念願かなって2014年、2016年と過去2回開催することができました。2018年の今年は第3回目の開催になります。

各地では、愛知県にある明治村のように、古い建物を集めて移築する事業を行っています。でもね、歴史ある建造物というのは、街の中にあるからこそ存在感や価値があるんです。それを「富士の山ビエンナーレ」で体感してほしかった。だから歴史を重ねた古い建物を会場として活用したかったのです。
ビエンナーレでは、会場となったその土地や建物の素晴らしさをアーティストが表現してくれます。土地の人は地元の良さを忘れているから、「こんな建物があったね」と思い出してくれるだけでもいい。それをきっかけに、自分たちの街を見直していければ良いのではないかと思います。

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「人とのつながりを次世代へ引き継ぎたい」

– 谷津倉さんのお仕事は、お話を聞いているだけでワクワクしてきます。

匠:私たちは工場ではないので、知恵を出して、アイディアで勝負しないといけません。
今の時代はハイリスク・ハイリターンでなく、ローリスク・ローリターンで細く長く続けていくししかない。先ほども言いましたが、どん底に行くと案外、良い知恵が湧くものなんですよ(笑)。

地元の鷹岡商店街は閉店が相次いで、どんどん高齢化していき活力がなくなってきています。
私たちが大学芋専門店「いもやゐも蔵」を立ち上げたのは、鷹岡商店街の活性化という理由もありました。なにぶん辺鄙(へんぴ)なところなので、集客できるのか心配でしたが「こんなところにこんなお店が!」と、クチコミでお客様がたくさん来てくれました。
おかげさまで今年7周年を迎えます。ちょうど、てぬぐいタオルで息をついでいるときの立ち上げだったのですが、今では支店を出すまでになりました。しかも、この事業を息子が継いでくれたので、私はその他の仕事に専念することができています。

今後は、ビエンナーレを通して、人とのつながりを次世代に引き継ぎたいと思っています。「芸術はわかりにくい」とおっしゃる方もいますが、実際は芸術ってほとんどの人が、あまり抵抗なく受け入れられると思うんです。芸術の前では地位や役職などの垣根がなく、平等にお付き合いができます。私もこの芸術祭で、普段は会えないような人々とつながることができました。

何か買うのも書くのもタブレット端末ひとつでできる世の中。働く人や事業所も減り、さまざまなものが淘汰される世界になってきています。
これからは、地域でものを作って育てるという、創造産業が必要になるのではないかと思います。2017年にオープンした「いもやゐも蔵」の新店舗のデザインを、「創造産業の育成」として、富士の山ビエンナーレに参加してくれた作家さんにお願いしました。そんなふうに、ビエンナーレとアーティスト、そして地元をつないでいきたいですね。

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代表取締役 谷津倉 龍三
株式会社ヤツクラ
静岡県富士市岩渕41
0545-81-0063


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