「会話」を通じてきめ細やかなサービスを提供
口コミのお客様が多い鈑金塗装自動車販売店
代表取締役 鈴木裕和 / 有限会社 鈴木自動車工業 / 静岡県富士久沢196番地
2019.03.18
野球一筋、高校野球の監督まで勤めたこともある体育会系の匠は、依頼された仕事にきっちり応えることはもちろん、納品時は車内清掃まで行うといったひと手間を惜しみません。誰もが気軽に立ち寄って世間話ができる専用スペースを設けるなど、人と人とのつながりを重視しており、口コミでのお客様も多いのが特徴です。親子三代に渡って利用されているお客様も。
「会社を継ぐのは想定外だった」
– いずれは会社を継ごうと考えていたのでしょうか?
匠:いえ、全くありませんでした。ずっと野球漬けの人生で、大学卒業後は社会人野球の会社に入社したのですが、生涯野球に携わっていこうと、できれば高校野球の監督になりたいと思っていました。
ところが、1年程して帰省した際、父(先代社長の鈴木和男氏)が脳梗塞で倒れ、それを目の当たりにして帰って来たというかたちです。
– 仕事ではどのようなことを心がけていますか?
匠:お客様のかゆいところに手が届くような会話なり応対です。
たとえば、「来た時よりも美しく」ということを全員で意識しています。目に見える仕上がりにこだわっていて、修理をした箇所以外もキレイに、たとえば、ワックスがけをしたり、車内清掃したりということをしています。
そして、やはり「会話」です。技術的な仕上がりや値段などでお客様を満足させるのは当然だという考え方のなかで、お客様から話をしてもらうのではなく、こちらから導き出せるよう「問いかけていこう」ということを心がけています。
車のことで何か困ったことがなくても、ここに寄ってもらえて、その会話の中でお客様が何を求めているのか、従業員一人ひとりがしっかり把握し、それを顧客満足度に結びつけたいと考えています。
そのために、カウンター風のこの待合室も作りました。お客様が一人でテレビを見たり雑誌を読んだりコーヒー飲んだり、気軽に気安く、いつでもフラリと立ち寄って、ご自身で時間を潰せるような空間です。
その際、車を無料で点検させてもらったりして、そこで不具合が見つかれば仕事にもつながるのかなと考えています。
待合室は最近リニューアルしたのですが、商工会さんのサポートを受け、小規模事業者持続化補助金を活用させてもらいました。
いま商工会の理事をしているのですが、会員さんを紹介していただいたり、他の理事さんから仕事をいただいたり、そういう面でもとても多くのお客様を紹介していただいています。
野球以外のコミュニティの方と接する機会があまりなかったので、もしかしたら、商工会がなければ野球一筋でやってしまっていた可能性もありますね。
– 何か(商工会で)影響を受けたことがあったのですか?
匠:人との接し方です。野球一辺倒できたので、いわゆる「体育会系」なところが非常に自分にはあって、従業員に対しても、強制的に「挨拶しろ!」「大きな声でしろ!」といった調子でした。でも、迫力がありすぎて逆にそういうことを嫌がるお客様もいますよね。
野球人としては、大きな声ですることがすべて良いことだという考え方があって、とにかく相手に対して自分の存在感をただアピールすることが大切だったのですが、社会人としては、気合より気持ちを込めることが大切だったという、商工会さんに接するようになって、そういうところも学びました。何しろ脳が筋肉だったんです(笑)。
「時流との格闘」
– どのようなお客様が多いですか?
匠:基本的には個人のお客様です。個人のお客様というのは、自分が利用してみて「良かった」となると、その方の友人知人を紹介して下さいますから、そう思ってもらえるよう、先程言った「来た時よりも美しく」だとか「会話」に力を入れています。
お客様側としても、知っている人からのおすすめであれば、安心感や信頼性があって選びやすいのかなとも思いますし。ですから、すごくやはり口コミのお客様が多いですね。
創業時からのお客様もいらっしゃいます。ご本人からお孫さんまで、三代に渡って来ていただいているという方もいらっしゃいます。
じつは15年位前までは、ディーラーやモータースといった業者さんがメインで、個人のお客様はほとんどいませんでした。
それが、ディーラーさんの場合、今は自社工場を持って、鈑金塗装も全部自分達でやるようになりました。仕事が外に出なくなったわけです。
車の保有台数自体もどんどん下がってきていて、モータースさんなんかはだいぶ減ってしまいましたし。
そうした時代の流れのなかで、できるだけお客様の声、要望をダイレクトに聞いて 自分達でそれにしっかり応えられるようにしていきたいということで、個人のお客様にシフトしてきたという経緯があります。
– 客層が変わると、仕事のやり方もかなり変化したのではないですか?
匠:そうですね。創業時は高度成長期でしたので、とにかく仕事がどんどん舞い込んできて、私が入社した時でも、朝から晩まで電話がなりっぱなしの忙しさで、その大半は、仕事を断らなければならないというものでした。大きな事故の仕事が入ってきても、 1年以上も手をつけられないとか、そんなことも当たり前。だけど、よそに行っても同じ状態だからここに置いていくしかないという、そのくらい仕事がありました。
それが、自動車業界全体が落ち込み始め、待っていても仕事が入ってこない時代になり、営業に出向くことが必要になってきたわけです。
ところが、忙殺の時代を過ごした職人である父としては、「ここで汗水流して良い仕事をやっていれば仕事なんてものは自然に入ってくるんだ」という考え方がやはり強いですよね。
ですから、私が営業へ出向くことに関して、「何を外に遊びに行くんだ」という状況でした。
– では、先代と衝突することもあったのでは?
匠:それに関しては、女房(良子夫人)が間に入って私の考え方を伝えてくれていました。それがなければ崩壊でしたね(笑)。
そのくらいやはり考え方が違っていたし、まして親子ですから、意地の張り合いなんです。そこは余計、他人の関係よりややこしいかもしれないですね。
「夢と仕事の両立、妻への感謝」
– 奥様が潤滑油のような役割だったのですね。
匠:それもそうですし、従業員が住み込みでもいますので、その従業員の身の回りのことも女房がやってくれています。
そうしたサポートもあって従業員達が育ってきてくれたので、30歳のときに、高校野球の監督を引き受けることにしたんです。
10年間で4校ほどやらせてもらったのですが、この間、従業員も女房もしっかり会社を守ってくれて、本当に感謝しています。
自分自身も、16時で仕事をあがって、帰ってくるのは深夜2時という時もありましたし、 それでもやはり、自分も従業員もこの仕事で食べさせてもらっていましたから、朝は5時に起きて、少しでも仕事を進めておこうということでやっていましたね。
大変ではありましたが、やはり好きなことをやらせてもらえていたので、辛いとは思いませんでした。むしろ、野球がやれたから仕事もできたということのほうが強いかもしれません。
野球を通じていろんな方と出会うことができて、いろんな助言をいただいて、 野球があるからその助言をしっかり聞き入れることができたというようなこともありましたし、仕事につながったりもしました。
– お父様は野球に行くことを反対しなかったのですか?
匠:そこも大反対されて戦争でしたね(笑)。ただ自分の中ではずっと監督になる夢しか頭の中になかったので、チャンスはもう二度とないと、これを逃したことによって将来ずっと後悔するんじゃないかという思いがありました。
そのかわり、従業員にも家族にも絶対に後悔はさせないよう、監督をやったから駄目になったとは言われないようにと、自分の中では覚悟を決めて受けましたけどね。
よく、家業を継ぐために夢を諦めたという話を聞くんですけれども、自分は夢も叶えられて、会社もしっかりやれて、恵まれていると思います。
従業員のがんばりもそうですし、やはり、女房あってのことですよね。
父は今も健在で、普段は穏やかで温和ですが、仕事になるとやはり厳しい職人の顔になる。そんな父との間を取り持ってもらえて、女房には本当に感謝です。彼女がいなかったら今の自分はないですね。会社もなかったかもしれません。やはり女性の力というのは強いですよね。
「どんなときも会話を大切に」
– 野球の監督指導と従業員教育には共通しているところはありますか?
匠:どちらもやはり一番大事なのは、情報を素早くキャッチすることです。 彼らが悩んでいること喜んでいること、これをいち早く知れるよう、自分の情報網を広げていくことがすごく大事だと思っています。
それによって、彼等が悩んでいる時には少しでも早く解消させてあげられますし、喜んでいる時にはそれを倍増させることができます。 そうすると、人間関係がすごく深まると思うんです。やはりここが人間関係で一番大事なところではないかと思っています。
今、人と人との繋がりが非常に希薄な社会になってきていますけれども、自分が携わるところ、野球しかり、仕事しかり、商工会しかり、人と人が優しい言葉をかけ合い、助け合いができるという、そういう社会にすこしでもできるよう、役に立てればいいなと思っています。
information
代表取締役 鈴木裕和
有限会社 鈴木自動車工業
静岡県富士久沢196番地
0545-71-3099
>お問い合わせ