仕事はカタいが発想はソフト!
歴史に培われた強みで地域産業を支え続ける
「感動製造業」
専務取締役 齋藤淳芳 / 株式会社 丸十鐵工所 / 静岡県富士市中之郷301番地
2019.03.18
二代目は商工会と県連会長を長きに渡って務め、地域企業の育成、サポートに尽力してきました。商工会さんは身内のような存在だと話すのは四代目の齋藤淳芳専務(以下、匠)。「マルジュウマシンドクター」など、長年に渡って培われたノウハウ・技術力にネーミングしサービス展開を図るなど、新たな試みにも積極的に取り組んでいます。お客様に喜ばれるもの作りを提供する「感動製造業」として、1000年続く企業を目指しています。
「困りごとを解消して感動を作る”感動製造業”」
– 長い歴史のなかで、具体的にどういうもの作りをしてきたのですか?
匠:明治42年の創業で今年110年になりますが、最初は鍛冶屋として橋や火の見やぐらを作ったりしていたました。
今の社長で三代目、私で四代目になるのですが、当社は、お客さんから「こういうことがしたい」といった要望、ビジョン、コンセプト等をいただき、それを形にする仕事をしています。商品の販売ではなく、お客様専用のオーダーメイド品を作っているわけです。
時代の流れとともに、製紙機械に携わるようになっていったのですが、たとえば、巻き取り装置だけが必要ならそこだけを作ることもできますし、既製商品にはないサイズのものが欲しいと言われたら、それも作れる。製紙機械に関しては修理やメンテナンスを含め、全部作ることができます。
じつは、高度経済成長期に、商品化した製紙機械がありました。特許も持っていて、結構良い機械だったため、「メーカーにならないか」と言われたこともあります。
作れば飛ぶように売れた時代でしたが、それゆえ売ることがメインになってしまうため、「うちはお客様が一番だからお客様をおいていくような商売はしたくない」と、先代は断わりました。お陰で今も小さい会社のままです(笑)。
ですが、それで経験値が増え、技術もノウハウもどんどん蓄積されていって、どのメーカーの機械でも、開けてみれば大体分かるというレベルになりました。
スペイン製の機械も修理できますし、昭和30年代製の、もう図面も製造会社自体もなくなっているようなものも修理できます。
今は拡大路線の時代ではなくなったので、生き残るために営業にも力を入れています。以前、食品工場から、パートさんが使用しているお玉が「寸胴鍋に対して短すぎて困っている」という相談を受け、長さを改良して使い勝手の良いお玉を作ったことがあります。鉄工所といえば大がかりなイメージがあるかもしれませんが、どんな小さなことでも、お客様の「困った」を解決することを今は提供しています。やはり、お客様に喜んでもらえれば、こちらも嬉しいですしね。
そうした中で、昨年は商品も開発しました。食品会社向けの金属製の台車です。市販品は耐荷重が20㎏程度で、実際に現場で使用しているのを見ていたら、重さに耐えられなくて、まるで生まれたての小鹿のようにガタガタしていたんです。危なっかしいですし、現実的に1年程度で壊れるそうです。それで、800㎏程度まで耐えられる台車を作りました。市販品よりは高めですが、うちの商品は車輪だけ替えれば半永久的に使えるので、長い目でみたら経済的だし、安定性があるので不安なく使えるのかなと思っています。
– たしかに、困ったことを解消してもらえるのは助かりますね。
匠:だから、今も24時間対応しています。製紙業界が24時間営業なので。紙は1分間に数100mもできるので、損失を減らすためにはすぐに直さないとダメなんです。
以前、第一工程の機械が壊れたというので、緊急連絡をもらったことがありました。じつは、他で断られてうちにまわってきた案件で、通常は修理に3日程かかる故障でした。それを2日半で直したんです。そしたら、誰が指示したわけでもなく、その場で機械を囲んでいた全員から大きな拍手が湧き上がって、もう下町ロケットみたいな感じで(笑)。本当に感動しました。嬉しかったですね。
そうしたことがあり、企業理念を感動を作る「感動製造業」として、営業方針としては「お困りごとを解消する」というスタイルでやっています。
「お客様に気付かせてもらった営業法」
– 営業は具体的にどのように展開しているのですか?
匠:月に100件程お客様の所へ営業で伺います。
ある時、40年来のお付き合いのお客様と話していて、「丸十はこの仕事」と、ずっと決めつけられていたことがわかりました。
他にもできることはたくさんあるのに、長い付き合いでもわかってもらえていなかったことがショックで、どうしたらわかってもらえるようになれるのか、そのお客様に直接相談したんです。
それで「 毎朝みんなのいる時間に来てみな」と言われ、1年半、毎日通いました。すると、最初の3カ月は何とか相手をしてもらえたのですが、半年程たつと露骨に嫌な顔をされるようになって、9カ月程したら無視されました。でも、1年過ぎたら雑談してくれるようになって。かわいそうだと思ったんじゃないですかね(笑)。
1年半程したとき、いつものようにその会社へ行ったら、机の上に修理依頼書があがっていたんですね。そしてそれには、赤いペンで「明日丸十が来るから頼んでおく」と書かれあったんです。瞬間、「これで終わった」と思いました。私らが毎日来るのを認識してもらえるようになったということですよね。
こうしたことがあって、最低週1回は顔を出すといった営業スタイルになっていきました。
– 営業先はやはり製紙業界が多いのですか?
匠:いえ、地図を広げて右から順番です。以前、紹介を受けて食品工場に営業で行ったら、あまり製紙業界と変わらなかった。製造ラインがあれば、製紙業界にこだわらなくてもいけるとわかったわけです。
ただ、そのためにはサービスのわかりやすさ、いわゆる見える化が必要だと考え、たとえば、故障修理サービスに「マルジュウマシンドクター」と名前をつけてチラシを作ったりしました。それを持参し、「各部門の専門医がいますので、何かあったらその専門医が急患で対応しますよ」といった感じで営業展開しています。
うちはホームページも全く工場らしくないんです。そこに、「生涯現役」「ちょこっとカスタマイズ」「マシン界のオートクチュール」といった変な名前のサービスが並んでいるので、逆に目に留まりやすいのかなと。とにかく、何行かでも中を読んでもらえるきっかけになればいいと思ってやっています。
– チラシも萌え系のイラストがあったりして、いろいろ凝っていますね。
匠:はい。ずっと営業で通っていた会社の方から、「丸十さんってお金持ちなんだね」と言われたことがあって、理由を聞いたら、「チラシがすごく良い紙だから捨てづらい」と。それを聞いて、さらに捨てづらくするために、より厚い上質の紙で作ったりね(笑)。
そしたら、2年程たったある日、事務の女性がかわいそうに思ったのか、掲示板にそのチラシを貼ってくれて。それをたまたま東京の本社から来ていた社長さんが見つけて下さって、初めて仕事がもらえたんですよ。
その社長さん曰く、「今まで、独立して仕事をしている、いわゆる一人親方と契約をしていて、たしかに安くやってもらえてはいたけれど、会社の存続を考えるとそこに責任感がない」と。「丸十さんと付き合えば御社が存続する限りはしっかりサポートしてもらえる」というので、そこは創業からの長い歴史が大きな武器になりましたね。
「商工会とは一心同体」
– 長い歴史といえば、商工会さんとのお付き合いも長いとお聞きしています。
匠:先代が富士川商工会の会長を28歳から70歳くらいまでやっていて、県連の会長も12年やっていました。だから今も「お世話になった」とお声がけいただくことがあります。
ただ、若い頃の私は「あの会長の孫」と言われるのが苦手でした。今思えば七光りをフル活用すればよかったのですが(笑)。20代でまだイケイケでしたから、祖父の威光に頼らなくても自分の力でやれるんだと思ったりしていて。でも、年齢を重ねていくうちに、仕事も大変な中でよくやっていたなと感じるようになりましたね。
私自身、子供の頃から「商工会」という単語をずっと聞いてきているので、そんな長い付き合いの商工会さんとは、一心同体ぐらいのイメージでいます。共に支え合ってこの地域で歩んできたわけですし。これからも歩んで行きたいと思っています。
「ミレニアム企業を目指し次の100年へ」
– 目指すは1000年続く企業です。そのために次の100年へのステップを踏み出したところで、もちろん私は生きてはいませんが、その間になすべきこと、道筋や考え方を残すこと、そういうのを考えるようになりました。
具体的には、高度な横ばいを目指しています。会社を大きくする必要性はないと思っていて、目の届く範囲の人、まずは従業員とその家族が良い生活を続けられるよう努力することが何より大切だと考えています。
そのために、みんなで協力してみんなで良いものを作っていくというスタンスを今はとっています。古い体質の企業によくありがちな、変な忖度はせずに、報告、相談、連絡を徹底していて、会社側も、利益率や内訳を毎月全部見せています。危機感も充実感も全て共有し合える状態です。
お陰様で、この10年で取引先が13社から50社に増えました。目標は100社なのでまだ半分ですが、これを達成して『がっちりマンデー』に出るのが今の私の明確な目標ですね。
– 同(笑)。
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専務取締役 齋藤淳芳
株式会社 丸十鐵工所
静岡県富士市中之郷301番地
0545-81-1260
http://maruju-iw.co.jp/
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