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製材業から製紙・不動産業へと
時代のニーズに先駆け進化し続ける百年企業

尾﨑一裕 / 株式会社 ふじかわコーポレーション / 静岡県富士市中之郷16
2020.05.07

ふじかわコーポレーションの歴史は明治38年に始まります。
初代が創立した製材会社は、地場産業として地域を牽引し、海外にまでその名を轟かせていたほどだったとか。その後、製紙業界にも進出。2013年からは、四代目となる尾﨑一裕さん(以下、匠)が、自身の貴重な体験をとおし、相続問題にも強い不動産業を展開。
日々たゆまぬ研鑽に励む匠は、若者の転出や高齢化による空き家問題を解決すべく、商工会ともタッグを組んでチャレンジするなど、伝統ある社史に新たな物語を刻み続けています。

「世代ごとにイノベーション」

– 御社は歴史ある老舗と伺っていますが、創業からの歩みを教えてください。

匠:初代が明治38年に製材業を起こしたのですが、このあたり旧庵原3町には当時、製材業者が多かったようです。富士川があったおかげで、山梨からイカダで丸太を運搬できたからですね。構内の裏側に東海道線が走っていますが、昔は水路だったようです。うちもそれを使っていたのだと思います

歴史ある老舗などと言えるかどうかはわかりませんが、当時行われた先代の葬儀の写真を見たりすると、とてもたくさんの方々と関わりがあったことがわかります。
多かった時には300人くらい雇用していたらしいです。構内には今でいう社宅もあり、私の幼少の記憶にも、浴場や、土間に大きなかまどが2つあったのを覚えています。
そのかまどでご飯を炊いて社員さんたちの食事を作っていたようで、一日中かまどの火は消えることがなかったそうです。
明治から昭和初期にかけては東海随一の製材工業だと言われていて、東海というのは当時、日本からフィリピンぐらいまでの地域をさしていたとも聞かされたことがあります。

二代目は製紙会社も始めました。私の父は三代目にあたるのですが、断裁仕上げを行う「有限会社富士川紙工」と販売を行う「有限会社尾崎紙工」を立ち上げました。
会社が3つあると年間3回も決算しなければならなくて大変なので、私の代に入り、2000年に「株式会社ふじかわコーポレーション」として合併しました。その13年後に不動産部門をスタートさせました。


「転機は相続問題の苦労にあった」

– なぜ不動産業だったのですか? 大学がそうした方面だったのですか?

匠:いえ、大学は電気工学科、理系です。実家を継ぐことについては、母親に小さい頃から洗脳されていて(笑)。ただ、大学と大学卒業後しばらくは好きにさせてくれと頼んで、東京のエレクトロニクスの専門商社でSE をしていました。

ところが、私がもどったのは、1985年のこれからバブル景気だったので、世の中は好況に湧いていたにもかかわらず、製紙業界ではそれほど好況感を感じなかっただけでなく、懇意にしていた製紙会社の担当者から「将来うちの会社だのみの仕事はしないで欲しい」と言われ、将来的なことを考えると下請けでこの商売を続けていくのは難しいだろうなというのもありました。

それで、今後のことを考え、それなりの勉強をしなければならないと思って、いろいろ学んだりしていました。
ですが、下請けというのは、基本的に営業をしなくても仕事が入ってくる半面、親会社が暇になれば仕事を出してもらえないし、クレームを出せば仕事が減ってしまう。要は、下請け業であるかぎり、学んだノウハウを発揮できるところが非常に少なかったわけです。

そんなとき、経営の勉強会で、不動産業に転換した方とたまたま出会って仲良くなったんですね。その方に、新しい仕事を探しているということを相談してみたんです。
そしたら、「あなた自身が土地や相続で苦労していて、まして僕が不動産業を始めて、そんな僕のところに相談に来ているのも何かの縁だから、不動産業を始めたらいいんじゃない」と言われたんです。
それで宅地建物取引士の資格を取り民法も勉強してみたところ、相続に関して知らないでいることがどれほど損なことかよくわかった。その後は、NPO法人相続アドバイザー協議会の認定会員になり、公認 不動産コンサルティングマスターの資格も取得し、相続に関する様々な知識・技術・技能を次々と習得していきました。

じつは、うちには事業用地が3000坪、約1万平米あったのですが、二代目の私の祖父が亡くなった後、相続の手続きをきちんとしていなくて、全部共有名義になっていました。その上祖父は先妻との間に子供が三人、その長男が私の父ですが…後妻との間に四人の子供がいました。
父が亡くなったあと、親族からそのことで申し立てがあり、以来14年間調停をやり、総額1億円以上をお支払いして土地事業用地を取得したという経緯があったんです。

不動産業もどちらかというと構造不況業種であることには間違いないのですが、下請けではないのでやりようはいくらでもあると思いますし、それこそ相続に絡めて仕事をすることもできます。
そしてやはり、自分が相続で苦労したことを活かすことができるというのが強くありました。いまの知識があれば、14年も調停していませんし、そもそも、一切調停に関わらなくても済んだ。当然、1億円なんてかかりません。
ですから、これからご縁がある⼈たちには、そういった苦労をしないでも済むようにしてあげたいとすごく思いますし、実際、この仕事を始めてから、「自分が経験した大変なことは他人様のお役に立つ」ことをとても実感しています。


「知らなかったでは済まされない不動産問題」

– 衝撃です。そうした知識をもった不動産屋さんとそうでないところでは全然違ってくるのでは?

匠:そういうこともあるでしょうね。
最近だと、公図には載っているけど、現地に行った時にそれがどこだかわからないので「無いのなら登記しなくてもいいや」という判断で相続登記をしていなかったという方がいらっしゃいました。
その土地も含めて全部売りたいとなったのですが、登記していないので簡単にいかない。しかも、それらは、遺言執行人が定められている遺言書による相続で、遺言執行人の方もすでに亡くなっていて、なおかつ、農地になっているので普通には売買できない状況という。きわめて稀なケースで、いま司法書士の先生も頭を抱えているという状況です。
最初の相続登記の際に「そんなことしたら後々大変ですよ」と一言言ってあげればよかったんですよね。それが、お客様から言われたらそのまま手続きを受理してしまうところもあるわけです。
相続登記は司法書士の先生の仕事ですが、土地の問題として不動産屋さんがもし相談を受けたのであれば、それを教えてあげることもできますよね。

先日相談に来られた方は、以前、登記の際に測量図が必要になり、ある土地家屋調査士に測量を頼んで作ってもらっていました。
拝見したところ、その土地の前には細い道路がありました。幅が4mない道路は「2項道路」と呼ばれ、道路の中⼼線から2m「セットバック」しなくてはならず、その道が富⼠市道だった場合、道路の中心線から2mまでの⼟地を、道路拡幅のため市に寄付してくださいという決まりがあるんです。
(※…「2項道路」とは、建築基準法第42条第2項の規定により道路であるものとみなされた幅4m未満の道のことを指し、幅4mの空間を確保するため、道路の中心線から2m以内の土地には、建築物を建てることが禁止されています。道路の中心線から2mの土地を空けておくことを「セットバック」と呼びます。富士市では、「狭あい道路拡幅整備事業」により「2項道路」の拡幅が進められています。)

ただし、その土地の通常は50万円くらいかかる測量費は富士市が負担してくれるんです。そのお客様が以前に行ったのは富士市外の土地家屋調査士で、この制度をどうも使うことができなかったらしいんです。今回うちに相談にきて、セットバックが必要な土地だとわかったので、富士市の費用で測量をし直したのですが、本来、測量費はまったくかからずにできた案件ですよね。

– そういうこともあるのですね。でも、おそらく多くの⼈は、相続登記のことや、「2項道路」のことのように、不動産の所有についての細かな注意事項は分からないですよね。

匠:私も、「⾃分が知っていることは他の⼈もみんな知っているだろう」と思ってしまうところがありました。ところが、相続の講演会なんかで、自分では「こんな当たり前のところから話すの!?」と思うようなことでも、お話しをしてみると、講演後に「すごいよかった」という感想を多く頂きました。それだけ⼀般的には知られていないことが多いということですよね。そのことを私が知らない。ソクラテスじゃないですけど無知の知です(笑)

「空き家問題も不動産業を通じて解決!」

– それでセミナーでの啓発活動なんかもされているのですね。具体的にはどんなことを教えているのですか?

匠:最初にアンケートに回答してもらって、それを見てその日に集まった方々に対して良さそうなものを紹介しています。
最近の傾向は、子供たちが都会に出てしまい「自宅が将来的には空き家になってしまうけどどうしよう」という、空き家問題が多いですね。
本人もしくは子供が使用するか、売るか、貸すか、ということになるのですが、不動産業をとおしてもっとうまく解決していけないものかと考えるようになって。

ある時、地域おこしの世界では結構有名な方が近くで講演されていたんで行ってみたんです。
そしたら、今後、昔ながらの日本の会社組織というものが崩壊していく可能性があって、そうなると自分自身で起業しなければならない人たちが結構たくさん出てくる可能性があると。
一方、ものすごい田舎でも若者が転入してくる町があって、そこでは、住まいを提供し、起業支援をするための場を提供するといった、何らかの援助を1年間はしているということをおっしゃっていたんです。
それなら、空き家を提供して、仕事をするためのスペース、いまならWi-Fi設備があればワンフロアーでもいいわけですよね。それで若者をこの地に呼び込むことができるのではないかと考えたんです。
すぐに商工会さんに相談しました。それで小規模企業経営力向上事業費補助金を紹介してもらって、まずはホームページを作ることにしたんです。

私は学生時代は京都、就職後は関東で過ごしましたが、どこよりもここは気候が良いとこだと思います。転勤族の方も、この地域は過ごしやすい所だっておっしゃる方が多いですよね。そういった意味では定年退職後の人には住みやすいと思います。
できれば首都圏方面から、若者と、定年退職後の人が終の棲家として移り住んでくれたらいいなと考えています。
空き家問題も解決しますし、みんなにメリットがある。そういう仕組みを今これからどうやって作っていこうかなというので、商工会さんにも手伝ってもらいながら取り組み始めたところです。

information
尾﨑一裕
株式会社 ふじかわコーポレーション
静岡県富士市中之郷16
0545-81-0012
https://fujikawa-corp.com/

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